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不易流行---変わらない真理と変わるトレンド

ツバメとヒトの違いは何か?---しっくりこない疑問

 いつも読ませてもらっているブログにツバメの記事が載っていた。ツバメの巣作りを見たが、親ツバメが子ツバメを上手く育てられていないらしい。心優しきブローガーは手助けをしようかとも考えたが、グッと我慢して自然の摂理に任せることにした。というストーリー。

 実は、ボクも通勤途中で、ことしは偶然にもツバメの子育てを2か所で見掛けた。ツバメの巣を見るなんて何年ぶりだろう。それも2か所で見るなんてビックリだ。両方の巣とも子ツバメが3羽づついて、親ツバメが忙しくエサを運んでいた。

 1か所はクルマのガレージの上だった。クルマの持ち主は、クルマがツバメのフンなどで汚れてしまったが、巣を壊すこともなかった。

 もう1か所は駅の防犯カメラの上の、本当に小さなスペースに巣を作っていた。こちらも、駅員さんが「ツバメの巣がありますので、落下物に気をつけてください」といった貼り紙でお客さんの注意を呼び掛けていたが、巣が壊されることはなかった。

 両方の巣とも、子ツバメの成長を見るのが毎朝の楽しみになり、無事、巣立っていった後に残った巣を見たときは、嬉しくあり、さびしくもあった。

 

 ここで、冒頭のブログに戻る。親ツバメが子ツバメを十分に育てられなかったとき、心配はするが、ボクも手助けはしない。

 でも、これがツバメではなく、ヒトだったら、どうするか。子育ての場合、将来のある子供のためになるのなら、手助けするかもしれない。しかし、仮に相手が高齢者で明日をもしれぬ場合、手助けすると言い切れるだろうか。

 なぜ、相手がツバメなら自然の摂理に任せるのに、相手がヒトなら自然の摂理に任せるのではなく、無条件に助けなければならないと言い切れるのだろうか。

 ツバメの場合は論理の問題だが、ヒトの場合は宗教の問題になってしまうのかもしれない。

 

 それにしても、ボクのなかには、しっくりこない疑問として残っている。